おはようございます!ミヤビです(^^)
今回は「面白い言葉」というテーマで、ある言葉を取り上げて書いていきます。
以前紹介したマンガ「あくまでクジャクの話です。」で出ていた小難しい言葉が印象的だったので、ちょっとブログで書いてみようと思ったので書いてみます。
「狡兎死して走狗烹らる」とは?─使い捨てられる者たちの悲哀と教訓
この言葉をご存知でしょうか??
マンガ「あくまでクジャクの話です。」の中でヒロインが言っていた言葉ですが、状況も相まって小難しい言葉ながら大変面白いな、と感じました。

言葉には、時代を超えて人の本質を映し出す力があります。
日々SNSをスクロールしていても、ニュースを読んでいても、ふとした瞬間に「なんかこの構図、見たことあるな」と思うことはありませんか?
人の行動や組織の動きには似たようなパターンがあります。
歴史は繰り返すとは言いますが、どれだけ世の中が発達しても人間の本質的な行動はあまり変わらない気がします。
この言葉はそんなときにハッとさせられる、ひとつの面白くも恐ろしいことわざですね。
「狡兎死して走狗烹らる」ってどういう意味??
初見では読み方すら怪しいこの言葉。
直訳して平たく表現すると、
「ずる賢いウサギが死ぬと、それを追いかけた猟犬も用済みとなり煮て食べられる」
という、なかなか衝撃的な構図を表した言葉ですね。
元は中国の『史記』の中で使われた言葉で、戦乱の時代に活躍した軍師・范蠡(はんれい)が、戦が終わったあとに自分の身の危険を察して、さっさと引退して姿をくらましたというエピソードから来ています。
彼が残したとされる言葉がこの「狡兎死して走狗烹らる」。
つまりはこうです。
「敵(狡猾なウサギ)がいなくなれば、役目を終えた味方(猟犬)も不要とされ、消されるかもしれない」
なんとも冷酷な現実ですね。
しかし、これが歴史のリアルであり、そして今の時代にも通じる「人間の性(さが)」なのです。
似たような構図、現代でも見かけませんか?
このことわざは、歴史や組織、ビジネスの世界で繰り返し見られる現象を見事に言い表しています。
● 企業のリストラや契約切り
あるプロジェクトが終わった瞬間、外注されたスタッフが突然契約を切られる。
あるいは会社をV字回復させた功労者が、新経営陣のもとで「古い体制の象徴」として退職に追い込まれる。
戦時中のスパイや傭兵が、任務完了後に「証拠隠滅」のために口封じされる話も、小説の中ではよくあります。
これらすべてが、「狡兎死して走狗烹らる」です。
なんか全然ありそうな話ではないでしょうか??
● SNSでの「推し」の炎上とファンの扱い
現代のネット社会にもこの話は応用できるのではないでしょうか。
人気アイドルやインフルエンサーが、なんらかの問題で炎上・引退すると、熱狂的だったファンたちも「黒歴史」のように扱われることがあります。
「あなた、まだあの人のファンなの?」という空気。
SNSで戦った“走狗”たちは、役割を終えると一斉に冷たくあしらわれる。
滑稽で、そして少し切ない――これもまた、現代版「走狗烹らる」ではないでしょうか。
なぜ“走狗”は煮られてしまうのか?
そもそも、なぜ走狗は煮られてしまうのか。
それは、「役目を終えた者の末路」に対する人間社会の冷酷さを示しています。
この言葉の裏には、
という悲哀があります。
この構造は、忠義を尽くす者や献身的な働きをする人ほど、陥りやすい罠でもあります。
僕の働いている会社も、昭和の価値観と体質が色濃く残っているので、こういう場面に遭遇したことは何度かあります。
現代人はどう応用すべきか?
ボク達はこのことわざからどんな教訓を得るべきなのでしょうか。
① 自分の立ち位置を常に確認する
「今の自分は、“走狗”になっていないか?」と立ち止まって考えること。
目標が達成されたとき、自分の存在はどうなるのか。
誰かの道具や“コマ”になっていないか。
盲目的に尽くすのではなく、冷静に自己分析をすることが大切です。
メタ認知力を持ち自分を俯瞰してみることが本当に大切ですよ。
② 利用される側から、利用する側へシフトする
すべてを戦略的に考える必要はありませんが、自分が「使われているだけ」になっていないか、意識すること。
会社員としても、副業でも、自分の「付加価値」や「交渉力」を高めていく必要があります。
③ “いざというときに去る”選択肢を持つ
范蠡のように、引き際をわきまえることもひとつの知恵です。
戦が終わってから「しまった」と気づいても遅いのです。
「潮目を読む力」を持っておくこと。
ときには、自分から“煮られる前に”身を引くことも立派な判断です。
人生の失敗の多くは自爆だと思います。
誰もあなたにわざわざ失敗してほしい、とか考えないし何か仕掛けることもないでしょう。
そんな暇でもないと思います。
冷静に引き際を見定めるようにしましょう。
個人的に好きな理由:「この言葉、冷たくてリアル」
この言葉、初めて聞いたときはシンプルに笑っちゃいました。
と、同時にちょっとショックな感じもしました。
「え、忠犬なのに煮られちゃうの?」と。
でも、だからこそ記憶に残るし、面白い。
現代のきれいごとでは隠されている「人間の業(ごう)」のようなものが、この一言に詰まっているのです。
お笑いでもドラマでも映画でもそうですが、少し毒のある表現の方が面白かったりしますよね。
歴史上の言葉なのに、現代社会にぴったりフィットするのもまた興味深い。
「言葉って、時代を超えるな」と思わされました。

読んでくれているあなたへ。“使い捨て”にならない生き方をしよう
今、あなたが頑張っている仕事、付き合っている人間関係、その中で「狡兎死して走狗烹らる」的な構図は存在しませんか?
もし心のどこかで「私はこの役目が終わったら捨てられるのでは…」と感じているなら、その直感は意外と正しいかもしれません。
ハッキリと「お前を捨ててやる」なんて言われることはないでしょうが、実質そういう扱いを受けることは現実問題としてあるかと思います。
でも悲観することはありません。
このことわざが示してくれるのは、「見極める力」「身の処し方の知恵」なのです。
功績を上げても、信頼を得ても、相手に依存しすぎず、自分の人生の舵を自分で取ること。
それが“煮られない走狗”になるための、生き方です。
まとめ
今回は「狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)」という言葉をテーマにして書いてきました。
- 「狡兎死して走狗烹らる」とは、目的達成後に不要となった者が使い捨てられる構図を表す言葉。
- 古代中国『史記』が出典で、軍師・范蠡が身の危険を察し、早期に身を引いた逸話に由来。
- 現代にも通じる構図(例:企業のリストラ、SNSの炎上、組織の功労者の切り捨て)が多く存在する。
- この言葉には、「忠義や功績より、“今”の必要性で評価される」という非情な現実が含まれている。
- 自分の立ち位置を定期的に見直し、盲目的に尽くすのではなく俯瞰する視点(メタ認知力)が大切。
- 「使われる側」から「価値を提供する側」へシフトする意識が、使い捨てを防ぐ鍵。
- 潮目を読み、「煮られる前に引く」ことも、立派な判断であり自己防衛となる。
- 忠誠や頑張りだけでは報われない場面もあるからこそ、自分で舵を取る覚悟が求められる。
こんな感じですかね。
あまりにも非情な言葉に聞こえるかもしれないこの言葉。
けれどそれは、“使われるだけの人生”にならないための警告でもあります。
面白い言葉には、面白いだけでなく「人生を生き抜く知恵」が込められています。
このことわざをきっかけに、自分の立ち位置やこれからの生き方を見直してみてはいかがでしょうか
あなたは“走狗”になっていませんか?
それとも、次の“狡兎”を追う準備を始めていますか?
ボク自身も気をつけて、自らに問いかけていこうと思います。
今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。
より良い人生にしていきましょう\(^o^)/
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