《お盆に振り返る心の話》お寺で育ったボクの今【自由と幸せの話】

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おはようございます!ミヤビです(^^)

今日はお盆期間ということもあって、ちょっと肩の力を抜いて、自分自身のことを振り返ってみようと思います。

ちなみにボクは特にお盆休みはなく、仕事しつつブログを書いて過ごしています。
実家はお寺なので、今は忙しい時期ですからだからこそ帰省しないという戦略です(笑)

今、ボクは幸せです

最近、ブログでもオフラインでもよく発言していますが、今のボクはとても幸せです。

もちろん、完璧な毎日じゃないし、悩みがゼロってわけでもない。
でも、「ああ、いい人生だなあ」って、ふとした瞬間に思えることが増えてきました。

それって実は、お寺で暮らしていたあの頃の強烈な体験があるからなんだなって、お盆の静けさの中でしみじみ思ったんです。

過去にお寺の生活についていくつか記事を書いています。
まとめ記事もありますのでもし興味ある方は読んでみてください。

お寺で過ごした日々のこと

お寺で過ごしていた日々を振り返る。

お寺で暮らしていた頃のことを、あらためて振り返ってみました。

毎日が「修行」だった

朝5時に起きて、お勤め(お経)をして、掃除をして、お寺の法務っていうのかな?
色々と作業をしたりして…。
まさに「修行」の毎日でした。

遊びたい盛りの年頃には、正直しんどい毎日でした。
今、やれって言われたら本当に嫌だと思います。

たとえば、こんなスケジュールでした。

【ある一日のお寺生活】
・5:00 起床・朝のお勤め
・6:00 掃除
・7:00 朝食
・8:00 写経
・9:00~ 読書・修行
・12:00 昼食(黙食)
・午後は作務(庭の手入れなど)
・17:00 夕のお勤め
・20:00 就寝

こうやって言葉にして書くと、何でもなさそうですが、過去にも書いたように先輩たちによる暴力と恐怖の世界だったので、とんでもない緊張感がありました。

今との違いが「幸せ」に気づかせてくれる

あの頃は、何もかも決まったスケジュールで動いていました。
制限と束縛だらけで、自由なんてなかったです。

今のボクは、ブログを書いたり、本を読んだり、美味しいご飯を食べたり、自分の時間を自由に使えます。
自由がなかった過去の生活があったからこそ、「今の生活ってありがたいな」って、心から思えるんですよね。

振り返りは、心の整理にもなる

お盆って、ご先祖さまを思い出すだけじゃなくて、自分の心も見つめ直す良いタイミングだと思います。
お盆じゃなくてもいいけど、まとまった休みって大事ですよね。

少し時間ができた時には、どこか遊びに行くのもいいですけど自分の人生を振り返ってみて、心の整理をしてみるのはどうでしょうか。

昔の習慣を、今に活かす

ボクにとってお寺の生活は辛く苦しかったですが、それだけではありません。
結果論ですが、お寺で学んだ「修行」が、今の生活にもほんの少し影響を与えている気がします。

早起きをして朝活する

できてない日もありますが、朝5時に起きてブログを書いたり勉強しています。
朝は誘惑やノイズがほとんどないので、静かに自分と対話するのに最適な時間帯です。

今でこそ朝活する人はいるし、珍しいことでもないですが、ボクにとってはお寺の生活をしていたことで土台があったのかもしれないですね。

今日の「ありがとう」を3つメモする

小さな感謝の積み重ねが、心の豊かさにつながっていく気がしています。
なるべく、毎日日常で見かけた良いことや、当たり前な日々に感謝をするようにしています。

お寺では「感謝の心を忘れずに」みたいなことをよく言われますが、自分の心に根付いているのかもしれません。

宗教を容認したり信じているわけじゃない

教養として仏教を学ぶことはあるが、宗教を盲信はしない。

誤解してほしくないですが、これまでの記事でお寺や宗教を容認している様に見えたかもしれません。

宗教を信じていない

ボクは宗教を信じていません。

どんな宗教でもそうですが、基本的なフレームワークが一緒だと思っています。

  • うまくいったら祈りが通じた
  • うまくいかなかったら修行や祈りが足りない

シンプルですけどこういう感じだと思っています。

何か、救いがなくない?と思っていたし、実際そういう教育を受けてきてボクは辛かったので宗教に対して警戒していますし、信じていません。

文化や歴史として、お寺や仏教に対しての経緯を払う部分はあるし、学ぶことはあると思っています。

ただ、盲信して、思考停止で他者に宗教を勧めるとかそういうことは絶対にしないです。

とはいえ心と魂に仏教のOSがインストールされている

とはいえ、お寺生まれで生活してきたボクには、仏教のOSが魂にインストールされているとも感じます。

これに対して抗っても苦しいだけなので、そういうもんだと思って生きています。
なので何でもかんでも否定するわけでもないです。

教養として仏教や宗教を学んでいくこともあるので、向き合い方が変わることもあるでしょう。

まとめ

今日はお寺生まれの自分の生い立ちを少し振り返り、今の生活の幸せを噛み締めました。

  • お盆の時期に、自分の過去を振り返るのは心の整理にちょうどいい
  • お寺での暮らしは大変だったが、今の幸せを感じるきっかけにもなっている
  • 過去の経験が、今の習慣(朝活や感謝メモ)に自然と活きている
  • 宗教そのものは信じていないが、文化や学びとして仏教には敬意を持っている
  • 無理に否定せず、自分なりの距離感で仏教と付き合っている

こんな感じですかね。

お盆だからお寺の話を少しする、っていうのは偶然ですww

時々、自分のルーツを振り返るのもまた大事だな、と思って書きました。
長期連休の期間、少し自分自身と振り返る余白の時間を持ってみるのはいかがでしょうか。

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

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