おはようございます!ミヤビです(^^)
前回からの続きのような感じで、お寺生まれのボクの価値観や原体験などをもとに言語化していきます。
今回は僧侶の道は目指さない、と決めた頃、ボクを救ってくれた伯父さんの話や、初めてアルバイトで働き出した頃の話を書いていきます。
親戚の伯父さんが救ってくれた話
以前にも書いていることもありますが、改めて書きます。
ボクが社会に出るきっかけをくれて救ってくれたのは親戚の伯父さんでした。
母の兄なので、彼から見るとボクは甥っ子ですね。
残念ながら60代前半の若さで早世してしまいましたが、ボクを救ってくれた重要な人物で、感謝をしてもしきれない気持ちがあります。
父は僧侶の世界しか知らないので、本当に世間のことが分からない人です。
親としては無責任だと思いますが、「僧侶の世界以外のことは知らないぞ」と言われて、ボクは捨てられたと認識してます。
母親も当時、相当に悩んで困っていたと思います。
兄である伯父さんに何かと相談してたのかもしれないですが、九州からボクの実家である岡山にきて、色々と話してくれました。
伯父さんは一般の企業に勤める普通の会社員でした。
何回か転職して、40代で部長職まで上り詰めていたので、今考えると優秀な人だったんじゃないでしょうか。
伯父さんの救ってくれた言葉
伯父さんはけっこう不器用な昭和の親父で、九州男児です。
九州に住んだことがない人には伝わりずらいかもしれませんが、九州男児という言葉があります。
九州男児とは
**九州男児(きゅうしゅうだんじ)**は、九州地方出身の男性を指す言葉です。単に出身地を表すだけでなく、「一本気」「逞しい」「勇ましい」など、強くて頼もしい男性像をイメージさせる意味合いが含まれています。
ポジティブなイメージ
- 一本気で真っ直ぐ
- 逞しく勇ましい
- 人情味がある、情に厚い
- 男らしく、頼りがいがある
- お酒に強い
- 真面目で誠実、芯がある
ネガティブなイメージ
- 頑固で短気
- 自己中心的
- 亭主関白や男尊女卑的な傾向
- 怒りっぽい
- 柔軟性に欠ける
地域ごとの特徴
九州といっても県ごとに気質やイメージは異なります。たとえば、
- 福岡:博多山笠のような勇ましさ
- 熊本:正義感が強い「肥後もっこす」
- 鹿児島:質実剛健な「薩摩隼人」
- 宮崎:外見は頼もしいが実はお人好しな「いもがらぼくと」
- 大分:協調性が低く合理的な「赤猫根性」
このように、九州男児のイメージは各地の個性が複合して形成されています。
恋愛傾向と対人関係
- 恋愛では「情に厚い」「家族思い」「リードしたがる」傾向があるとされます。
- 一方で「頑固」「亭主関白」「自分本位」といった側面が敬遠されることもあります。
- 恋愛対象としては「頼もしい」「浮気しなさそう」と好意的に捉える声がある一方、「頑固で怖い」「家事を女性に任せがち」といった理由で敬遠されることもあります。
現代の評価と変化
近年、「男尊女卑」的な気質を揶揄する「さす九(さすが九州)」というネットスラングも登場し、伝統的な九州男児像への批判や見直しも進んでいます。
九州男児は「見た目も行動も豪快だが人情味に溢れた男性」という意味で使われることが多い5。
まとめ
- 九州男児は「九州出身の男性」を指すだけでなく、強くて男らしい、情に厚いといったイメージが付随する言葉です。
- 一方で、頑固さや男尊女卑的な面も指摘されるなど、評価は時代や立場によってさまざまです。
- 地域ごとに性格やイメージは異なり、必ずしも全員が「典型的な九州男児」というわけではありません。
Perplexity の Eliot より
ボク自身は転勤族であちこち住んで思いますが、その土地ならではの人間的な気質というのは間違いなくあります。
良いとか悪いとかではなく、土地柄ってあるよ、という話です。
ですので九州男児という概念はあって、九州男児の性質ってのはありました。
そんな九州男児な伯父さんでしたので、口数は少なくコミュニケーションが上手な方ではありませんでした。
でもそんな伯父さんがボクに言ってくれた言葉は今でも忘れられない、救われた言葉です。
このような感じの言葉を言われて、ボクはすごく心が救われたと記憶しています。
正しくあれ、これが絶対の正解の道なんだ、みたいなお寺の世界を生きていたボクにとって、人生が分からないというのは罪のように感じていました。
この伯父さんの言葉は救いの言葉でした。
その後、伯父さんの勧めと援助もあり、ボクは親戚の家に行くことになりお寺を離れることになります。

初めてのアルバイト、社会での生活
親元とお寺の世界を離れて親戚の家で暮らしだしたボク。
当時19歳で、大学にも行っていないしやりたいことも夢もない。
ハッキリ言って、親元を離れたかったわけでもないし、親戚の家で暮らすなんて嫌な気持ちもありました。
気持ちは救われたとはいいますが、伯父さんも問題がない人ではなかったので(笑)
2回離婚しているし、ちょっとアル中気味くらいにはお酒を飲んでいたし、ボクにはなかったですが家族に対して暴力気味な一面もあったようです。
だから離婚してるんですけどね。
親戚の家で暮らして、いわゆるニートをやるわけにもいきません。
ボクは手探りで何かできるアルバイトを探してみます。
そんなの、19歳の頃であれば普通かもしれませんが、ずっとお寺の生活をしていたボクにとっては相当に怖いことのようで、難しいことでありました。
しかも、知らない土地に行って仕事を探すので、これはこれでストレスでした。
本屋やスポーツ用品店など、興味がある分野から何社か探して、最終的には伯父さんの勤め先のグループ企業である酒屋さんでアルバイトを始めることになりました。
今現在、ワインの仕事をしていて、ブログでも時々ワインコラムを書いていますが、お酒の仕事との出会いはここであったんですね〜。
職場でのボク
さて、アルバイトを始めたボクですが、最初の頃は職場の人にある意味バカにされて、笑われている事が多かったと思います。
メチャクチャな縦社会で育ってきたボクは、妙な礼儀やマナーのようなものが染み付いていました。
アルバイト先に早く行って事務所を掃除したり、年齢は関係なく自分よりも先輩の人にはしっかりと挨拶をしていました。
これが何かすごい違和感を受けたんでしょうね。
普通のことだし、むしろ良い事だとは思いますが、程度問題です。
極端に礼儀正しく、職場の人一人一人に「〇〇さん、おはようございます!」みたいな感じで挨拶していました。
うん、今の自分だったらちょっと怖いな、と思うかも知れませんねww
こんな感じだったのでちょっと浮いていたと思います。
暖かい職場、優しい仲間たち
ちょっと浮いているボクでしたが、とはいえ職場の人たちは皆んな優しくて良い人達ばかりでした。
今でもたまにやり取りするくらいの人もいます。
余談ですが、絶対店長が女の子は顔で取っているというくらいに可愛い女性ばかり働いていたので、何だか華というか色のような感じもあり、楽しい職場でしたよww
ハラスメント、とか言わないでくださいね。
男女年齢問わず、仲間に恵まれて世間の一般常識みたいなことを少しずつ学んでいきます。
この頃に成人もしたので、お酒を飲みだすこともありましたし本当に色々な経験をしてきました。
何と言うかボクの更生期間のようなものでした。
世間の一般常識などを学び、普通の人の価値観に触れていくことで。ボクは改めてお寺の世界に対して疑問を持つようにもなっていきました。
もう僧侶の道に戻るなんて、1%も考えられないな、と思うようになっていきます。

まとめ
今回はボクを救ってくれた伯父さんの話、初めての社会生活の話を書いてきました。
- 僧侶の道を選ばず、初めて社会に出るきっかけをくれたのは伯父さんだった
- 伯父さんの「分からなくていい」という言葉に救われた
- お寺という閉じた世界から一般社会へと一歩踏み出す決意をした
- 伯父さんは不器用ながらも情に厚い“九州男児”だった
- 親戚の家での生活には葛藤もあったが、それでも前に進むことを選んだ
- 初めてのアルバイトは伯父さんのつてで酒屋さんに
- 社会経験ゼロだった自分にとって、働くことは大きな挑戦だった
- 極端な礼儀正しさで最初は少し浮いた存在だった
- それでも職場の仲間に恵まれ、徐々に社会の常識を学び、馴染んでいった
- お酒との出会いもここから始まり、後のワインの仕事につながっていく
- 世間を知ることで、お寺の世界の“当たり前”に疑問を持つようになった
- 僧侶の道に戻る気持ちは、完全に消えていった
こんな感じですかね。
ブログを書く時に思い出しながら書いていますが、我ながらちょっと泣けてきます。
今でこそ多様な価値観に寛容な世の中ですが、当時はもう社会の負け犬、不適合者のような気分にもなっていたので本当に辛かった時期だったな、と思います。
今の自分を形成している重要な時代ですね。
今が幸せで最高だな、と感じるようになれて本当に良かったな、と思います。
今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。
より良い人生にしていきましょう\(^o^)/
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