《多様性の圧力》優しい社会の矛盾【本音を語ろう】

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《多様性の圧力》 優しい社会の矛盾 【本音を語ろう】のブログ記事のサムネイル 【人生論】

おはようございます!ミヤビです(^o^)

今日は少しセンシティブなテーマ、「多様性」について書いてみようと思います。

このテーマで書こうと思ったのは、社会全体が「多様性を尊重しよう」という空気にあふれすぎていて、むしろ息苦しさすら感じる瞬間があるからです。

正直に言います。
ボクは「多様性を認めること」に対して、少し懐疑的な立場です。

もちろん、差別や偏見はあってはならないし、誰もが自由に生きられる社会が理想なのは間違いありません。
でも、「違いを認め合おう」「受け入れよう」という言葉の裏には、“同調の圧力”や、“本音を飲み込ませる空気”が隠れているように思うのです。

《多様性》がもたらす摩擦と現実

多様性とは何か?簡単に言えば、「人それぞれの価値観や生き方、文化的背景などの違いを認め合うこと」です。

でも、現実はどうでしょうか?

価値観の違いって、そう簡単にすり合わせられるものじゃないです。
「正反対の価値観」を「理解」することって、本当にできるんでしょうか?

ボクの家庭の話をすると、昭和的かつお寺の僧侶という独特の価値観の父と、ボクのような“個人主義”を大切にしたい人間では、どうやってもわかり合えないです。「
「親だから」と無理して理解しようとしていましたが、結果としては無理でした。

「多様性だ、認め合おう」という今の世の中の風潮は、正直きれいごとにしか聞こえないです。

多様性を認めるのは理解できるが、本当にそうなのか?

《対話》という名の忍耐ゲーム

最近では企業の中でも「ダイバーシティ研修」とか、「インクルーシブな職場づくり」といった言葉を耳にする機会が増えました。

ボクの所属する会社でも本当にこの手の研修は多いです。
こうした“多様性推進”が逆に人間関係をギクシャクさせることもあるんではないかと思っています。

  • 「相手の文化的背景を理解しましょう」
  • 「性の多様性に配慮しましょう」
  • 「年齢やジェンダーによらず公平に扱いましょう」

どれももっともらしいです。
でも、それを“求める側”の声ばかりが大きくなって、“配慮する側”の感情はどうなるんだろう?

「そういうの、ちょっと苦手なんだよね」って思ったとしても、それを言ったら「差別だ」と一蹴される。

これって本当に「多様性」なんでしょうか?

《多様性》が“武器”になる時代

さらにやっかいなのは、「多様性」が一部の人たちにとって“盾”や“武器”として使われる場面もあるということ。

たとえば、「自分はマイノリティだから配慮してもらって当然」といった態度や、「意見が合わないのは相手が偏見を持っているからだ」という決めつけ。

もちろん、多くの人が真剣に自分の立場やアイデンティティに向き合っているのは理解しています。
でも中には、あきらかに“特権的に使っている”ようなケースもある。

それって、“認め合う”というより“押し付け合い”なんじゃないかなと感じます。

《正直に言えない》社会は、果たして寛容か?

「みんなちがって、みんないい」は理想だと思います。
だけど現実には、「本音を言えば叩かれる」社会になっていないか、と。

過去に「是々非々思考」について書いた記事でも触れましたが、ボクはどんな主張も「良いところもあれば、そうじゃない面もある」と考えるタイプです。

なのに「多様性を認める」というテーマになると、途端に“絶対正義”みたいな扱いになる。

これって、逆に多様性を否定してないか?とも思います。

「無理して認め合わなくていい」

あえて言います。
ボクは、「すべての価値観を受け入れる必要はない」と思っています。

「嫌だな」と思う感覚、「合わないな」と感じる違和感を無理に抑え込むことが、ほんとうの優しさではない。
ボクたちは、すべてを理解しなくても、適度な距離感を保って生きることができる。

無理して一緒にやらなくてもいい。
相容れないもの同士は、離れてそれぞれの場所で生きていけばいい。

それもまた、多様性なんじゃないかな。

まとめ

今日は「多様性」について書いてきました。

  • 「多様性=絶対善」とされる風潮に、息苦しさを感じる人もいる
  • 違いを認めることは理想だが、現実には価値観の衝突や摩擦もある
  • 配慮を“求める側”ばかりが尊重され、“配慮する側”の本音が抑圧されがち
  • 「多様性」が盾や武器のように使われる場面も見受けられる
  • すべてを理解・共感する必要はなく、適度な距離感もひとつの選択肢
  • 「無理して認め合わない」ことも、多様性のあり方のひとつ

こんな感じですかね。

「多様性は大事だよね」という世の中の空気に、モヤモヤを感じている人もいると思います。

ボクはそういう人に伝えたい。
「違和感を持っても、あなたは悪くない」と。

すべてを受け入れられる人だけが優しいわけじゃない。
本音を大切にしながら、自分なりのスタンスを持つことも、大人の成熟した在り方だと思っています。

多様性を認めつつ、自分はこうあるという「ポジションを取る」ということも大事ではないでしょうか。

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

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