《失う前に気づけ!》人生を支える静かな基盤について考える【健康はすべての土台である】

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おはようございます!ミヤビです(^^)
今回は、「健康はすべての土台である」というテーマで書いていきます。

習慣や健康については時々書いていますが、普遍的な大切なテーマだと思うので繰り返し書いていこうと思います。

ボク自身、体調を崩して休職した経験もありますし、身近な人の不調を目の当たりにしてきたことがあります。
年齢を重ねるにつれて、痛感します。
「健康って、当たり前じゃない」「健康なくして、何も積み上がらない」と。

これを読んでくださっているあなたにも、ぜひ一度立ち止まって、健康という“静かな土台”について考えてみていただきたいのです。

「健康」って、そもそも何だろう?

「健康」とはそもそもなんでしょうか??
「健康」というと、何となく「病気じゃない状態」と思いがちですが、もう少し広い意味があります。

WHO(世界保健機関)の定義では次のように定義されています。

「健康とは、身体的にも、精神的にも、社会的にも、完全に良好な状態であること」。

つまり、単に風邪をひいていないとか、ケガをしていないといった“表面的なこと”だけではないのです。

心の状態、日常の人間関係、食事や睡眠、生活習慣……それらすべてが絡み合って、はじめて「健康」と言えるのだと、最近よく感じます。

何かを成し遂げる前に、「身体が動くか」が問われる

たとえば、どんなに意欲があっても、どんなに夢や目標を描いても、実行するのは“身体”です。

  • 朝起きて、PCを開くこと
  • 現場に向かって働くこと
  • 誰かと会って、会話すること
  • ごはんを食べて、エネルギーを摂取すること

これらすべて、健康という前提がないと“普通”にできません。
体調が悪ければ、意志や気合いではどうにもならない場面がたくさんあります。

実際、ボクは以前、コロナ後遺症という病気で体調を崩し休職したことがあります。
数週間まともに起きられず、パソコンを触ることもできずの無気力状態でした。
やりたいことは山ほどありましたが、体がまったく言うことを聞いてくれない。

予定も仕事も全部リスケ、という現実に直面し、ようやく「健康って、すべての前提条件なんだ」と悟りました。

予定も仕事も全部リスケ、という現実に直面し、ようやく健康はすべての前土台と悟る。

健康を「手段」ではなく「目的」として捉える

多くの人が、健康を“何かのための手段”として考えがちです。

  • 朝起きて、PCを開くこと
  • 現場に向かって働くこと
  • 誰かと会って、会話すること
  • ごはんを食べて、エネルギーを摂取すること
  • モテるために筋トレする
  • 集中力を上げるために睡眠をとる
  • 仕事のパフォーマンスを上げるために食事に気を遣う

これらももちろん大事な動機ですし、否定するものではありません。
でも本質的には、健康は健康であることそれ自体が“目的”であるとボクは思うのです。

健康であるということは、それだけで価値がある。
それだけで、日常に感謝できる理由になる。
そして、“何もない穏やかな日々”を送るために必要不可欠なものでもあります。

お金があろうと健康を直接買うことはできません。
日々の習慣の積み重ねでしかないので、健康であることはとても大事だな、と思います。

健康が崩れると、人間関係も崩れる

見落とされがちですが、健康状態が悪化すると、人間関係にも悪影響を及ぼします。

  • イライラして他人にあたってしまう
  • 疲れて約束をキャンセルすることが増える
  • 気力がなくなって、誰とも連絡を取りたくなくなる

こういうこと、ありませんか??

心や体が弱っているとき、ボクたち人間はどうしても“内向き”になりやすいものです。
「誰かのため」なんて思える余裕もなくなって、結果的に孤独や疎外感を深めてしまう。

つまり、健康は単なる“自分ごと”ではなく、人とのつながりにも直結する「社会的な資本」なんですよね。

健康は、“失って初めてわかる資産”

「健康のありがたさって、失わないとわからないよね」という言葉、よく聞きます。
本当にその通りです。

ボクも失ってみて気づきました。
風邪ひとつで、日常のありがたみが一気に浮き彫りになる。
胃腸炎になると、普通にごはんを食べられることがいかに尊いかを知る。
足をケガすると、歩けることがどれだけ自由をくれていたかを思い知る。

ボクたちは、失ってから“ありがたみ”を実感する習性があります。
でも、できることなら、失う前に気づいておきたい。
健康は「当たり前」じゃなくて、「奇跡」みたいなものなんですよね。

健康は「当たり前」じゃなくて、「奇跡」みたいなもの。

健康を守るために、ボクが実践していること

ここで、ボク自身が日常的に意識している“健康の土台をつくる習慣”を少しご紹介します。
時々、習慣は紹介していますが、変えたりすることもあるので。

  • 毎日1分スクワット
     どんなに忙しくても、とりあえず1分やる。それだけでも習慣が続きやすくなります。毎朝やってます!
  • 週2回の筋トレ(腕立て・腹筋)
     週2だけでも、十分身体が変わります。
    心なしか、メンタルの安定感も増しました。
  • 毎日8000歩の散歩
     散歩は気分転換と軽い有酸素運動の両方になって、最もおすすめしたい習慣のひとつですね。
    音声を聴きながら散歩するとインプットもできてオススメです。
  • 習慣の記録
    見える化することで、「ちょっと調子悪いかも?」のサインに気づきやすくなります。
    起床や就寝時間、日々の食事などを記録しています。

こうした“小さなこと”の積み重ねが、10年後の自分の健康状態をつくるとボクは確信してます。
たった2年くらいですが、劇的に人生が変わったと感じているからです。

「今、元気だから大丈夫」ではなく、「未来の自分のために、今日ちょっとだけ整える」という意識が大事だと思っています。

まとめ

今日は、「健康はすべての土台である」というテーマで書いてきました。

  • 健康は「当たり前」ではなく、「静かに支えてくれる土台」
  • WHOの定義でも、身体だけでなく心や社会との関係も含めて健康
  • どんな目標も、健康という前提がなければ実行できない
  • 健康は「手段」ではなく「目的」でもあると捉えることが大切
  • 体調を崩すと、人間関係や気力にも影響が出る
  • 健康は「失って初めて気づく資産」であり、日常の尊さを教えてくれる
  • 小さな習慣(運動・散歩・記録など)の積み重ねが未来の健康をつくる
  • 「今が元気だから大丈夫」ではなく、「未来の自分のために今日整える」意識が大切

こんな感じですかね。

健康は“派手じゃないけど、最高の資産”だと思います。

お金や地位や名誉のように、目に見えて派手ではないけれど、健康は確実に“最強の資産”です。
そして、健康があってこそ、やりたいことに挑戦できるし、大切な人を守ることもできる。

これは、人生後半に入った今だからこそ、より実感をもって言えることでもあります。

ボクたちは、自分の“土台”を整えることで、ようやく高く積み上げていくことができる。
家でもビルでも、地盤がしっかりしていないと崩れてしまうように、健康が整っていないと、どんな夢も努力も“続かない”。

だからこそ、すべてのスタート地点に「健康」があると思います。
これからも自分の心と体を大切にしていきたいと思います。

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

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