おはようございます!ミヤビです(^^)
今回は少し反省を込めたお話です。
自分への自戒ですね。
先日、友人夫婦と一緒にちょっとしたレジャーを楽しんでいたときのこと。
ボク自身はまったく悪気なく冗談で言った一言が、実はその場にいた友人の奥さんを傷つけてしまっていたようで――。
特にお酒も飲んでいたし、友人の奥さんとはボクはまだ2回目だったので、距離感の詰め方も間違っていたな、と反省しています。
あとから聞いて「えっ、あの一言がそんなに…?」と驚くと同時に、言葉って本当に繊細で、誤解を生む可能性があることを改めて痛感しました。
ボクはこうして毎日ブログを書いている身でもあります。
文章も言葉。誰かの心に届く一方で、誰かの心を刺してしまうこともある。
だからこそ、「言葉を扱う者としての責任」と「伝えるときの思いやり」について、今回はあらためて考えてみようと思います。
言葉には「力」がある

何気ない一言が、心に残る
冗談のつもりだった。
軽く笑ってもらえると思った。
そんな「つもり」が、思いもよらぬ形で人を傷つけてしまうことがあります。
今回、友人の奥さんがボクの言葉に少しショックを受けていたと聞いて、ボクも友人を通じてですが謝罪しました。
許してくれているかわかりませんし、もう二度とボクとは会いたくないと思っているかもしれません。幸いにも友人との関係は壊れずに済んでいます。
でも、心のどこかに残る棘のようなものを、知らず知らずのうちに刺してしまっていたのだと考えると……やはり反省せざるを得ません。
ボクはこのブログでは強い言葉を発していませんが、普段から言葉が強い方だという自覚があります。
ちょっと毒の効いたスパイス的な発言のほうが面白い、とも思っています。
今回はそれが悪い方に作用したな、と思っています。
ちなみに具体的に何を言ったのか?についてはブログでテキストにすると誤解しか生まないと思うので発言は控えておきます。
言葉は「凶器」にも「贈り物」にもなる
改めて考えるとボクたちは日々「言葉」でつながっています。
ブログでも、SNSでも、日常会話でも。
だからこそ、無意識の言葉選びが、相手にどう響くのか?
その結果として「信頼」が築かれるのか、それとも「距離」が生まれてしまうのか?
言葉の力って、ほんとうに侮れないなと、改めて感じました。
発信する立場としての責任
ブロガーは「読者との対話者」
ボクはこの「ミヤビブリア」で、ブログを書いています。
ときには読者の皆さんの背中を押したり、ときにはちょっと笑える話をしたりと、自由に書いています。
でもどんな記事も、最終的には「誰かにとっての心の栄養」になれたらいいな、と思って書いています。
だからこそ、発信者としての言葉には、無自覚なまま「誰かを遠ざける力」もあるということを、しっかり心に刻んでおきたいです。
「意図」と「伝わり方」は違う
今回の件で気づいたのは、「自分の意図」と「相手に伝わる内容」が必ずしも一致しないということです。
どんなに良かれと思って言ったことでも、文脈やタイミング、相手の心理状態次第で、まったく逆の意味で受け取られることもある。
だからといって、言葉を恐れて口をつぐむのではなく――
「伝えたいこと」を「相手に伝わる形」で届ける工夫をしていく。
それが、発信者としての誠実さなのだと思います。
日常でもできる「言葉への配慮」

一呼吸おいてから話す・書く
つい軽口をたたいてしまいそうなとき。思いついたことをすぐ投稿したくなるとき。
そんな瞬間にこそ、「これは本当に伝えたいことか?」「相手が読んだらどう感じるか?」と、自分に問いかけてみる。
たったそれだけで、言葉の選び方はずいぶん変わるはずです。
ボク自身もこのブログを書くとき、何度も推敲して、「この表現で誤解されないかな?」と考えるようにしています。
相手の立場に立つ
発信者としても、日常の会話でも、「自分がどう思っているか」だけでなく、「相手がどう感じるか」を意識すること。
これは、実際に誰かを傷つけてしまった経験がないと、なかなか本質的には身につかないことかもしれません。
でも、経験したからこそ言える。
「ちょっと言い方を変えるだけで、救われる人がいる」
言葉を「武器」にしないために。
むしろ、「癒し」や「灯り」として使えるように。
まとめ
今日は自分の発言をもとに、自戒を込めて「言葉の持つ力」について書いてきました。
- 冗談でも、相手を傷つけることがあると心得る
- 言葉は「伝える」だけでなく「伝わり方」にも責任がある
- 意図と受け取り方は必ずしも一致しない
- 発信者は、言葉の影響力を常に意識することが大切
- 軽口を言う前に、一呼吸おいて見直すクセをつける
- 相手の立場に立って考えることが、信頼を守るカギ
- 言葉は「凶器」にも「贈り物」にもなる
- 経験を通じて、言葉の重みを学び続けよう
こんな感じですかね。
ボクたちは日々、何百、何千という言葉を使って生きています。
でも、そのひとつひとつが持つ力に、どれだけ意識を向けているでしょうか?
今回の出来事は、ボクにとって「言葉の扱いを見直す」大きなきっかけになりました。
ブログを書く身としても、人と関わる社会人としても、
もっと丁寧に言葉を紡いでいきたい。そう強く思っています。
これからも、読んでくれる人が少しでも前向きな気持ちになれるように。
ミヤビブリアの文章が、誰かの心に優しく届きますように。
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