コロナ禍での休職のお話【実体験】

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【随想録】

こんにちは、ミヤビです^_^

いつかどこかで書かないとな、と思っていたんですがなかなか書いていませんでした。

あまり役に立つ内容にはならないかもですが、初めての経験をいろいろしたので形にしておこうかなと思い、今回の記事にしました。

コロナにかかった件

今では珍しくない?くらいに感染した人も多くなってきた気がしますが、昨年私も感染してしまいました。

たしかデルタ株でしたかね。

ボクは昨年関東から関西へ転勤してまして、転勤後数ヶ月で感染してしまいました。

今考えるとよく転勤させたな、って思いますね^^;

コロナとは思いませんでしたが、風邪のような若干の予兆はありました。

週末の仕事帰りになんとなく『あ、熱出るかも』みたいな感じの悪寒を感じ帰宅。

翌日には40℃まで発熱しとても動ける状況じゃなく、激しく咳もしていました。

寝込んでいても治らず、週明けには仕事を休んで病院へ行きました。

自治体や病院によって対応はマチマチのようですが、当時はPCR検査はこんな感じでした。

  • PCR検査を受診できる病院とできない病院がある
  • 検査キットだけもらい、自分で保健所へ持っていく
  • 陽性になったらあとは保健所対応

こんな感じでしたかね。

思い出しながらそれぞれ簡単に振り返りたいと思います。

PCR検査を受診できる病院とできない病院がある

今でもそうかは分かりませんが、当時はこんな感じだったようです。

ボクは転勤したばかりでかかりつけ医とかもいなかったので、たまたま最初に行った病院でPCR検査できたのはラッキーだったと言えるかもしれません。

これもあとから知ることになりますが、PCR検査を受診できる病院でも、二回目以降は実費となりその料金は病院によって違い、高額なところだと5万円と言われたところもありました。

公費、いわゆる国のお金でのPCR検査は一回こっきりということで、意外と知られてなかったんじゃないかな〜、と思いましたがどうなんでしょう。

最初に行った病院で受けれたのは本当に不幸中の幸いだったでしょうね。

検査キットだけもらい、自分で保健所へ持っていく

これも驚いたんですが、ボクの住んでるところの対応は自分で保健所へ持っていく、というものでした。

これがまあ辛かった。

40℃の発熱、激しい咳をしながらタクシーでなんとか行きました。

なんか優しくもない塩対応な保健所の人に密室に案内され、PCRキットを渡すだけでしたが。

翌日には連絡が病院から来て、あとは保健所からの連絡と対応でお願いします、みたいな感じでなんだかな〜、って思ったのをよく覚えています。

ちなみに最近は街中でPCR検査を5,000〜10,000円くらいで受けれるところも多くなってきましたが、そういうところは検査結果もWEBで確認できたりします。

最後陰性を確認する時はそんな感じだったので、PCR検査を受けるっていうだけでもずいぶん過程が違うな、って思いました。

陽性後のホテル療養

ボクの場合は一人暮らしも考慮されてか、ホテル療養となりました。

これもけっこういきなり電話来るんですが、陽性といわれた日の夕方、明日の朝に迎えをよこすのでそれに乗って隔離されるホテルへ行ってください、とのこと。

さすがに準備できないので夕方とかにしてくれ、と交渉して夕方にしてもらいましたけど、とっても嫌がられました。

国や自治体の人たちも辟易としてるのは電話越しにも感じましたが、なんかすっごい事務的でこっちはメチャクチャ辛いのに違う辛さも感じました。

ホテルに運ばれてからは毎日朝と夕方に検温と電話検診があります。

本当に簡単なもので、熱や咳があるかないか?

今の体調はどうか?

くらいなものでした。

正直最初のうちは発熱して咳だらけだったので辛くて寝ているだけ、記憶もありませんでした。

5日くらいしてようやく少し落ち着いてきましたが、まだまだだるく食事もあまり食べれてませんでした。

食事は三食出ますが、菓子パンや弁当、インスタント食品でした。

正直あんまり身体に良くなさそうだな、とか思いましたが外出も当然禁止ですし、食べれるものを食べる感じでした。

洗濯は自分でしないといけませんが、100人くらいはたぶん収容されているはずですが、洗濯機が二機しかなかったのでこれも大変でした。

多めに着替えを持っていっていたのでまだなんとかなりましたが、もうちょっとどうにかならなかったのかな、と思います。

療養解放後

療養の解放も突然です。

昼くらいにいきなり電話かかってきて、『もう大丈夫なので、今日の夕方帰っていいですよ』といきなり放り出されます。

帰りは送迎なしです。

ボクは7日間の療養期間でしたが、毎日の電話での問診くらいしかやっていなくて、何を根拠に解放されたのか正直いってよくわからなかったです。

会社の上司にも毎日報告してましたが、すごくびっくりされていました。

ボクはすぐに電車で帰ってしまっていましたが、会社はタクシーで帰らせてやれ、と指示してくれたそうです。

その支持を聞く間には移動してたので、ホント突然放り出されました。

悩まされる謎の症状

会社の規定の隔離期間も終え、しばらくは仕事を復帰してました。

が、1ヶ月くらいした頃から頭痛や眼の前がぼやけるような症状が出始めてきます

明らかに今まで感じたことのないような倦怠感も出てきて、朝身体が起き上がれない日とかも出てくるようになりました。

この頃、どう考えても普通じゃないので色々な病院を受診してました。

色々な病院を受診するハメになるのは、どこも明確な治療方針とか具体的なことを言ってくれなかったからです。

正直言って、コロナ禍において病院の対応の冷たさ、というと失礼ですが、あまり患者さんに寄り添ってくれてないなっていうのはすごく感じました。

もちろん、病院側も疲弊していて本当に大変だったんだろうなとは思いますが。

どこを受診していいかわからないので国のコロナ対策に問い合わせて、最寄りの受診できそうな病院を教えてもらい自分で電話をかけます。

看護師さん
看護師さん

うちはコロナ対応できないんで!ガチャッ!!(電話切る音)

こんな対応もしばしば。

あちこち電話するだけでホント一日潰れたりして疲れました。

ようやくコロナの後遺症を見てくれるという病院をネットで見つけましたが、ボクの住んでいたところからは2時間くらいかかる病院。

しかし、他に手段もなかったのでこの病院を受診することになります。

コロナ後遺症と認定、そして休職へ

この遠い病院を受診し、色々と検査もしてもらいました。

診断結果でコロナの後遺症と認定されます。

今現在もそうですが、コロナ後遺症の治療薬というのはなく、漢方薬を飲むなどの対処療法が中心とのこと。

そして何より休むことを勧められました。

会社とも話し、病院の話をもとにしばらく休職する運びになりました。

ボクは関西から近いところに実家もあるので、実家も頼りながらたまに通院もしてました。

薬を飲んだりたまに血液検査をしたりしてました。

5ヶ月くらいの長期休職をしましたが、その間も何だか無気力でしたね。

特効薬もなく、良くなっているのかどうかも良くわからずにいて、実家の家族も何だか困っているような様子を見せていて少し辛かったです。

次回は休職期間、その後から現在までのお話を書いてみようと思います。

コロナもそうですし、病気になってみるとその人にしかわからない苦しみってありますね。

ボクは自分の経験から、辛い時はとにかくまず休むことをオススメします。

健康が第一です。

ここまで読んでいただきありがとうございました\(^o^)/

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