《暴力は指導ではない》広陵高校の話とボクの修行体験【教育と伝統の闇】

スポンサーリンク
《暴力は指導ではない》広陵高校の話とボクの修行体験【教育と伝統の闇】のブログのサムネイル 随想録

おはようございます!ミヤビです(^^)

今日は少し重めの話題「広陵高校のニュース」に触れてみます。

いわゆる時事ネタとかニュースはあまり扱わないボクの記事ですが、このニュースは思うことがあったので書いてみようと思います。

ボク自身が過去・お寺の修行時代「暴力」に苦しめられた実体験があるからです。
ニュースを整理しながらボクなりの視点で率直にお話ししてみたいと思います。

暴力は絶対に良くないが環境や組織が原因だと思う

冒頭言っておきたいのは「暴力は絶対に良くない」ということ。

ボクはお坊さんの修行という名目で寮に入っていましたが、過去にたくさん暴力を受けてきました。その原体験があるので心の底からからそう思います。
今回のニュースを知って、時代や業界が変われど構造が似ていると同じようなことが起こるんだな、と感じました。

広陵高校で報じられた暴力問題は、教育現場の“本質的な課題”を浮き彫りにしており、“思い込み”や“権威の誤用”といった歴史的な背景を無視できません。
僕自身の修行時代の辛い経験と重なり、今こそ「暴力を正当化せず」「相手を尊重する文化を再構築する」必要性を痛感します

整理:広陵高校のニュースとは?

ニュースと事実の前提を整理する。

ボクはいわゆるテレビ番組のニュースを見ないので、テレビでどの様に報じられているのかわかりません。
基本的にネットで収集した情報なので、間違っている部分あるかもしれません。
あしからずお願いします。

その上でどんなニュースだったのか?の前提を揃えておくために整理しておきます。

事実(実際に起こったこと)

  • 2025年1月、広陵高校野球部寮で1年生部員がカップ麺を食べたことを理由に、2年生部員から暴力(殴打、平手打ちなど)が行われた。
  • 学校側は暴力行為について内部調査を実施。
    加害生徒は公式戦出場停止となり、学校には「厳重注意」のみで春の大会出場資格は維持された。
  • 事件はSNS上でも拡散し、詳細や校内調査への疑問が注目された。
  • 甲子園大会中(8月10日)、校長が「生徒の安全・命を守るため」として大会出場を辞退。被害者情報の追加流出もあった。

報じられたこと

  • 春の大会前後から、事件の内容や学校の対応への疑問がSNSやメディアにより広く報道された。
  • 高野連(日本高等学校野球連盟)は「教育的配慮」で出場を認めたが、対応の曖昧さや隠蔽体質など批判が世間で広がった。
  • 甲子園大会史上初、“暴力事件による大会辞退”と大きく報道された。
  • 広陵高校OBの元プロ野球選手も「過去にも暴力体質があった」と証言。

何が問題だったのか?

  • 部活動内の暴力・いじめが学校内で発生したこと
     → 教育現場における安全責任の重大さ
  • 学校・高野連の対応への批判
     → 処分が曖昧/厳格さに欠け、問題の隠蔽や再発防止策の不十分さ
  • SNSによる情報拡散
     → 学校や団体側が情報統制できず、社会全体へ問題が波及
  • 甲子園出場の判断と社会的責任
     → 事件後も出場を認めたことで「教育的配慮」と「大会への影響」のバランスが問われた
  • 伝統的体質・構造的な問題の指摘
     → 過去からの体質が改善されていない、組織のガバナンスへの疑問

問題の本質を理解する

広陵高校の件は、個別の事件を超えて、教育や伝統の在り方そのものを問うものでした。

H3 なぜ広陵高校の問題は注目されたのか

広陵高校で報じられた暴力問題は、報道によると複数の生徒が暴言や体罰を受けた可能性があるとして、社会的に大きな関心を集めました。
被害者側が勇気を持って声を上げた背景には、長年「上下関係」や「伝統だから」という意識が深く根づいていたことが読み取れます。

H3 数字で見る教育現場の暴力(参考)

  • 文部科学省が毎年発表する「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、令和5年度(2024年度)の全国の小・中・高等学校における「暴力行為」の発生件数は108,987件で、児童生徒1,000人当たりの発生件数は8.7件と報告されています。
  • 中学校での暴力行為は発生件数33,617件(1,000人当たり10.4件)、高等学校は5,361件(1,000人当たり1.7件)となっています。
  • 定義上の「暴力行為」は殴打・蹴り・威圧的言動を含むもので、学校間・自治体ごとに判断が多少異なる場合もありますが、近年は積極的把握が進んでいます。

このブログを書くきっかけでこういうデータも調べましたが、いま思春期の頃には暴力行為の問題は今でもあるんですね。

ボク自身は独身で子どももいませんが、姪っ子と甥っ子がいるので無関心ではいられません。

自身の寺修行時代との重なり

自身の修行時代も暴力と恐怖に苦しめられていた。

ボクの修行時代もまた、「暴力と恐怖」に向き合う時間でした。

ボクの修行時代の記憶

親元を離れた中学生以降、寮で生活していました。
多感な中学生時代に、修行している寮寺で先輩からの叱責や体罰と称してとにかく殴られました。
「仏道の試練」として正当化される風潮の中で、心も体も傷ついたことを、よく覚えています。

ボクをメチャクチャ殴った先輩で特に印象に残っている3人がいて、一生忘れないです。
指導とか後輩のため、とかではなく殴ることが好きな暴力性を秘めてた人たちだと思っています。

ボクは人間ができているので(笑)
恨んでるとか憎んでるとかはありません。

いえ、正確には恨みも憎しみもあるかもしれません。
だって一方的に理不尽な暴力を受けただけなので。


ちなみに3人とも現在も僧侶を継続しているようです。
どの面下げてやってるんでしょうね??と思っちゃいます。

でも、ボクは誰かを憎んだり恨んだりして生きていくのは自分が辛いと思うので、そういう生き方は選んでいません。

暴力が「修行」として扱われる危うさ

“伝統だから”“しきたりだから”という理由で暴力を正当化するのは、どこかで自己や他者を尊重する感覚を麻痺させてしまう危険があります。

教育現場と寺のしきたり、表現は違えど「制度によって弱い立場が傷つけられる構造」は共通していたように思います。

実際、ボクのいた寮では度を過ぎて後輩を殴った先輩を、指導係の僧侶がさらに殴って矯正する、みたいな事ばかりでした。

中学生のまだ未熟なボクの心でも、「こんなのおかしい」と思ってました。

未来への提案:暴力を乗り越える文化を築くために

実際に起ってしまった問題をもとに、改善のための行動を考えてみましょう。

尊重と共感を教育・伝統に取り戻す

  • まず、「学びや成長には暴力が不要」だという前提を共有すること
  • 教師・先輩・指導者が尊敬と共感をもって接することで、信頼にもとづく関係性が築かれます。

簡単なことではありません。

パワハラにも通じますが、本気で殴って蹴ることが指導だと思っている大人はいます。
仕事でも教育でも、厳しさや時間投下は必要です。

でもその表現は決して暴力という行為で表現されてはいけないです。
お寺の世界もそうですが、業界自体が基本的な考えを改めないといけないです。

具体的な取り組み案

“伝統だから”の許容
暴力や威圧的言動
(上下関係の押しつけ)
➡️
“尊重・共感”の文化へ
コミュニケーション重視
信頼でつながる関係性

変化の方法:制度・教育プログラム・研修の見直し

繰り返しですが、簡単なことではないと思います。

教育業界もお寺の世界も、本当により良い未来のために構造が変わることを願っています。

まとめ

今日は広陵高校のニュースの話題に触れ、自身も経験してきた過去の暴力体験について書いてきました。

  • 広陵高校の暴力問題は、教育現場の構造的な課題を浮き彫りにした
  • ボク自身の修行時代にも同様の「伝統を理由にした暴力」が存在していた
  • 暴力は決して許されない。環境や組織が原因で繰り返されている
  • 「上下関係」や「しきたり」で正当化される暴力は断ち切る必要がある
  • 指導や教育は、尊重と共感を基盤とした信頼関係の上に築くべき
  • 教育現場も宗教界も、構造的な改革が必要とされている
  • 社会全体で「暴力を許さない空気」を作っていくことが大切

こんな感じですかね。

自分の辛かった過去を思い出すのはやはりパワーがいります。

広陵高校の話もボクのお寺の話もいわゆる「証明できない問題」です。

ボク自身は恨みつらみで生きたくないのでもう忘れていますが、だからといってされたことを許せるのか?というとそれはまた違う問題ですね。

自分の過去の話を深く思い出して記事にするのはまた時々やっていこうと思います。
暴力はダメ!絶対!!

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

コメント

タイトルとURLをコピーしました