こんにちは、ミヤビです。
ボクの借金生活についていくつか記事を書いてきました。
ブログを書いていて思いましたが、『借金で苦しむ人を減らしたい、無くしたい』という気持ちがあり、その活動の一つにブログがあります。
なので借金に関する話、解決策などはこれからも触れていくつもりです。
今回から一旦、数回に分けてボクの生い立ちについてちょっと触れてみます。
一件、関係ないようにも思いますが、借金をした事にけっこう関わると思ったからです。
お寺生まれ
シンプルにそれ以上でもそれ以下でもないんですが、ボクの実家はお寺です。
父は僧侶で、今も健在です。
健康に長生きしてほしいですね。
ボク自身も、僧侶になる様に教育され、そうなるための修行生活をした事もあります。
宗教の話ってのは、お金とは違う意味で怪しさを感じる話かなぁ、と個人的には思います。
宗教やお寺関連の話をする機会には毎回言おうと思いますが、ボク自身は無宗教なつもりですし、何かに勧誘はしません。
実家の宗派も言わないです。
しかし、そうは言っても幼い頃からそういう生活をしてきたので、自分の考え方、価値観には特定の偏りが根づいているとも思っています。
何に対してもそうですが、自分の考え方を押し付けたり、他の人の考え方を否定したりするつもりもありません。
ブログを書いていく上で一つのネタくらいに思ってボクの経験してきた話を今後見てもらえると幸いです。
お寺の生活の話って需要あるかな??(笑)
友人知人に話すとけっこう食いつかれるのでブログにしようと思ったのも理由の一つですね。
坊さんになりたくない
いきなり話を飛ばしてしまいますが、現在のボクは会社員です。
僧侶ではありません。
つまり坊さんの修行を放棄したんですね。
坊さんの修行時代の話はとても長くなるので、また別記事であげるつもりですが、簡単に言うとこんな流れで生きてきました。
- 〜小学6年生までは実家で生活
- 中学〜高校生、親元を離れ専用の寮で同期と生活、僧侶修行
- 高校卒業後、近くのお寺に住み込み修行しながら専用の学校に通う
家がお寺であるということ以外は小学6年生までは普通かな?
クリスマスとかはまったくしませんでしたが。
中学以降が特殊な生活かもしれません。
中学〜高校時代、高校卒業後がまあ辛い時期でした。
6年ちょっとくらいは頑張ったのかな?
とにもかくにもボクは18〜19歳の頃、お坊さんになりたくない!と突然思い、修行から逃げました。
文字通り、逃げました。
3日間くらい音信不通になって、メチャクチャ家族や関係者に心配をかけたことがあります。
当時は東京のあるお寺に住み込みだして、修行生活を始める予定だったんですが、初日の時点でその生活に耐えられず無理だと思い寺から逃げました。
その時は坊さんになりたくない、やめたいというよりもとにかくその生活が嫌だったんだと思います。
親の嘆き
父は僧侶で、母はお寺に尽くしてきた人です。
父はボクの様に逃げた人も過去に見てきたからドライな対応でしたが、母はかなり嘆いていました。
『あんたを立派な僧侶にする事だけが生きがいだった』
こんな感じの事を言われたと思います。
狂った様に泣かれた事もあります。
マザコンは気持ち悪がられるかもしれませんが、まじめで人に気を使いすぎてしまう母親の事がボクは大好きです。
(男は基本マザコンくらいにボクは考えてます)
なのでホント辛かった。
今でこそボクも母親も考え方が変わり、お互い理解できるようになった部分は多いですが、ボクが僧侶をやめるまではずいぶんと時間がかかりました。
なかなか説得、というか話しにならなかった。
諦めきれなかったんだと思います。
ボク自身は後悔してませんが、両親、特に母親の期待を裏切ったなぁ、と今でも時々思います。
閉鎖的な世界
どんな業界もそうだと思うんですが、お寺の世界は特に閉鎖的だとボクは思います。
宗教の世界自体がそのようにボクは思っています。
- 考えや信仰の押し付け、他人の否定。
- 違う宗教に対して攻撃的。
- 自分たちの教えが第一。
- 祈っていれば救われる。
こんな一面があるんじゃないかな、と思います。
ボクは宗教研究とかまではしていないので、どんな宗教や団体もすべてそう、とは思いません。
両親のまわりには当然、同じ宗教の関係者、友人知人が多いので、まじめに一生懸命生きている素晴らしい人たちもたくさん知っています。
ボクの友達にもお坊さんがいて、素敵な人が多いです。
ただ、志のない人もまた一定数いるのも残念ながら事実です。
(くわしくは書きませんが、事実として暴力や金銭トラブルの不祥事も多い世界です。)
父の父、つまりボクの祖父の代から父親はお寺で生きてきて、僧侶以外の世界を知らない父親はある意味開き直っています。
祈ったり願掛けする、神様仏様だのみという行為は否定しないんですが、祈っていればいいみたいな雰囲気を今でも感じるのはボクとしては違うかなと考えています。
行動しないと人生は変わらないからとボクは思うからです。
良くも悪くもその世界で生きてきた両親は、子供たちに対しての教育も偏っていたんじゃないかな、と思います。
情弱、世間知らずな自分
さて、そういう閉鎖的な世界で生きてきたボクはどういう人間に育ったのか?
今でいう情弱な人間に育ったと思います。
情報弱者(じょうほうじゃくしゃ)ですね。
世間知らずと言ってもいいでしょう。
環境が悪いとか親のせいだとは言いません。
そう思ってないといえばウソになりますが、自分に原因があったと思います。
ボクが坊さんをやる、やらないでもめていた頃、母親の兄であるオジさんがボクを引き取ってくれることになりました。
とても実家で生活できる状態じゃなかったからですね。
望んだわけではありませんでしたが、ほかにどうすることもできませんでした。
オジさんに引き取られたあと
オジさんに引き取られたあとに、オジさんの仕事の関係先でアルバイトを始めたんですが、周りの人にボクはかなり異様に見えたと思います。
修行時代のなごりから、出社したらひとりで事務所の掃除をしたり、ほかのアルバイトや従業員の人にひとりひとりに挨拶したり。
そう聞くと普通のことのように思えますが、なんというか坊さん修行独特の雰囲気があったんだと思います。
めっちゃ笑われましたけどね。
そんな事しないよ〜、とかよく言われました。
ボクはATMでお金を引き出すこともできない人間でした。
テレビも見れない寮生活を長く送っていたので当時の芸能人とかまったく知りませんでしたね。
だから思っている以上に、「え、そんなこと知らないの?」みたいなのは周りの人に思われていたはずです。
余談ですが、「学校へいこう」っていうテレビ番組が当時流行っていたのか、ボクの妹がよく見ていましたが、ボクは番組も出演者もなにもわからず「V6とかワタナベマリナってなに?」と妹に聞いたら「V6とワタナベマリナを知らんのん!!」って言われたのは印象的です。
(V6さんワタナベマリナさんごめんなさい)
「学校へいこう」を知らないの!!!
今はほとんどテレビ見ないので、芸能人知らなくても「知らないな〜〜」くらいは言えますしなんとも思いませんが、当時はなんだかショックでした。
知らないことが恥ずかしかったんだと思います。
こんな感じでボクは、アルバイトを通じて社会に出ていくことになり、図らずも世間の波に飛び込んでいくことになります。
当時20歳になる寸前の19歳の頃ですね。
次回以降、世間に出ていったボクの情弱な話、実際にあったトラブルなどを話していきます。
今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました\(^o^)/
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