思春期の修行時代の話【ボクの生い立ち】

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【人生論】

こんにちは、ミヤビです^_^

さら〜っとお寺生まれのボクの生い立ちから20歳くらいまでの流れを前回書かせていただきました。

前回の流れからすると順番が前後するような感じですが、中学からの独特な生活を今回は紹介します。

親元を離れ20人ほどの同期と過ごす寮生活。
レアな経験だと思います。

実家を出て寮生活

小学6年生までは親元にいました。

お坊さんになる、とは言ってもなり方の入り口は複数あるようです。

  • 小学校を出て中学生になる時に寮に入る(試験あり)
  • 成人してから受験する(試験あり)
  • 自分の親が僧侶の場合、親を師として出家する(今はない)

ボクの実家の宗派でもっともポピュラーなのは、小学校卒業後、つまり中学生になるタイミングで実家を出て寮暮らしをするというものでした。

ボクの親は何も考えずに(というと悪いですが)もっともポピュラーな手段を取り、小さい頃から「中学に上がる時にあんたは坊さんになるんだよ」と教育されてきました。

住んでいる地域によりますが、寮に入るには宗派のお膝元へ引っ越すことになります。

ボクの場合は割と遠い引っ越しをすることになります。
もちろんボクだけです。

なので小学校の頃から、友だちには中学になる時にはお別れになるとはみんな知っていて、とても寂しかった記憶があります。

とても仲の良かった友だちが4人くらいいましたが、必然的に疎遠になります。

試験を受ける

一応試験があり、筆記試験と面接があります。

そんなに難易度の高いものではなかったように思いますが、ボクと同い年の従兄弟は落第したので、試験でちゃんと振るいにかけてたんだと思います。

これを書くのは微妙ですが、ボクの父は正直いってだらしないです。

朝夕でお経をあげる、お祈りのようなお勤めをするのが本来の日課ですが、ボクの実家は地方の田舎寺。

参詣者などもほとんどいないので、当時の父は朝のお勤めはサボっていました。
今では多少頑張ってますけどね。

で、この面接の時に、「朝のお勤めは何時から毎日やってるの?」と聞かれます。

面接は母親が付きそうんですが、事前に「毎朝6時にやってます」と答えなさいと言われ、ボクはそのとおりに答えて試験に合格しました。

その時はあまり何も思わなかったように記憶していますが、母親はこの時のことをものすごく後悔していると近年聞きました。

だって子供にウソをつかせたんですから。

必ずしもすべてのウソが悪いとは言いませんが、このウソは正直良くないですね。

前述の落第した従兄弟は「朝のお勤めはやっていません」と答えたそうです。

ボクもやっていないと答えていたら落第していたのかな?

入寮後の生活

さて、試験を終えてから引っ越しも終え、いよいよ親元を離れます。
最後に親と離れる時はホントに寂しかったです。

ボクの同期は20人ほどいましたが、泣いている人も多かったです。

まさに出家ですね。

同期は基本的に2人一組の部屋で生活をすることになります。

一時的な合宿とかならまだしも、最低でも6年間は誰かと一緒の部屋で生活することになるので、苦手な人にはすごいストレスだったと思います。

部屋の相方は1年に1回変えれるんですけどね。

同期と暮らしながらの生活がついに始まります。

  • 朝は5時頃起きて、そのままお勤め
  • お勤め後は色々な場所を班分けして掃除
  • 掃除後に朝食を取ってから通学

こんな感じの日々が始まります。

大人になってからは朝活の重要性を認識しましたので朝早いのは良いことと思いますが、なにせ小学校を卒業したばかりの中学生なりたての少年たちには辛い生活でしたね。

後述しますが、先輩たちがめちゃくちゃ怖かったので毎日が尋常じゃない緊張感がありました。

あとはいわゆる娯楽は基本的に禁止です。

  • テレビ
  • マンガ
  • ゲーム

出家してお坊さんの修行をするわけですからね。
禁欲とか俗世間のものにふれない、みたいなことを言われてたと思います。

あとは当時流行っていたポケベルとか、のちのち出てくる携帯電話とかもダメでした。
お金も毎月1,000円とかのお小遣いがあるだけだったのでホントきつい生活を強いられることになります。

まあ、良いか悪いかはともかく、色々なことに抜け道はあったんですけどね。

始まる暴力、先輩の恐怖

さて、基本的には多くのことが制限され、厳しい修行生活を送っていきますが、この寮生活を過酷にしている理由があります。

それが先輩たちの存在です。

ボクたちの期が初めての存在ではないので、当然先輩がいます。

高校三年生までの先輩が同じ寮で暮らしています。
学年ごとに寮の場所は違いますが、とにかく先輩は怖かったです。

今ではどうかは知りませんが、この寮生活は基本的にどういうわけか恐怖政治です。

すべての先輩がそうというわけではありませんが、殴る蹴るなどの暴力、集団での恫喝。

こんなことは日常でした。
目をつけられたりしたら嫌がらせのように怒られます。

殴る蹴るの暴力は本当にひどかったです。
しつけとか教育では済まされない、犯罪レベルの暴力だったと思います。


先輩に殴り回されたりもしました。

ボクも首の骨が殴られてずれたり、頭に傷が残ったりしています。
仲の良かった同期は右耳が難聴になりました。


今でも聞こえづらいそうです。

どうして両親はこんなところにボクを入れたんだろう?

こう思わずにはいられませんでしたね。

これも近年聞いたことですが、両親はこの実態を知らなかったそうです。
でも実態を知ってる人もいたそうなので、知っていたら両親はどうしたんでしょうね。

先程の難聴になった同期は今でも僧侶でたまにあって飲んだりしていろいろな話をします。

こんな壮絶な過去をともにしたのである意味で家族よりも強いつながりを感じます。

話を聞いていると、そうやって暴力を振るっていた人たちが今でも僧侶をやっていると聞くとなんだかなんとも言えない気持ちになります。

同期とも話しますが、昔のことを今さらどうこうはいう気はないし、恨みつらみをぶつける気もありませんが、じゃあ許せるかというとそうはならないですね。

ボクはこう思ってました。

  • 僧侶は人につくす、役に立つ人
  • 聖職者
  • 人を救うすばらしい仕事

ふわっとしてますがイメージです。

もちろん、すべての僧侶がそうというわけではありません。
お坊さんを見て全部こういうイメージは持たないでほしいです。

本当にすばらしい人もいます。
まあこんなのはどんな世界でもそうだと思います。

結局自分が根性なしで逃げ出したのは間違いないですが、現実を知って自分が将来目指す世界とは心のどこかで思えなかったんだろうな、と今では思います。

人は人、自分は自分

大人になってから思うことですが、僧侶というちょっと特殊な世界だから余計に思うだけで、どんな世界に生きていても人は人、自分は自分な気もします。

暴力の話の余談ですが、ボクの同期はほとんど暴力をふるわない、自分で言うのもなんですが優しい期でした。

先輩に散々殴られたから自分も殴る。やり返す。

こういう考え方の人は同じように後輩を殴ります。

自分が殴られてすごい嫌だった。だから自分は暴力はしない。

ボクや仲の良かった同期はこういう考え方でした。

人を殴る。
どんな状況であれボクは暴力はしたくないなと今でも思います。

なんだか辛い時の話をしてしまいましたが、良い経験もないわけじゃないですよ?
過去の話はたくさんあるので、また次回以降してみようと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました\(^o^)/

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