《5/19~5/24 まとめ》お寺生まれの自分の価値観をアップデートする【振り返り】

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《5/19~5/24 まとめ》お寺生まれの自分の価値観をアップデートする【振り返り】のブログ記事のサムネイル 【随想録】

おはようございます!ミヤビです(^^)

毎週日曜日は公私ともに何かと振り返りをしています。
ブログも一週間の記事をまとめて振り返る日にしている、復習のような記事にしています。

今週はお寺生まれのボクの原体験や過去に触れた記事を投稿し続けてきました。
ではでは振り返ってみましょう!

5/19 《お寺の現実を数値で解説》お寺生まれの僕が語る特殊な環境とは?【自分語り】

お寺生まれというのは特殊な環境だと思いますが、改めて数値を分析してみました。

何事も数値でまずは考えてみる、というのは改めて大事ですね。

この記事の中でも書きましたが、宗派を問わずにお寺で生活している世帯は0.13%という仮説なので、かなり特殊な経験なんじゃないかな、と思います。

今の会社でも偶然ですが、実家がお寺という人が一人いますが、かなり珍しいですよね。
スタンド使いは惹かれ合うみたいなもんでしょうか(笑)

まずは数値で見るところから初めてお寺育ちの原体験や価値観を書くきっかけにしました。

5/20 《お寺生まれの実態》生活、修行、そして今。【鎖国された価値観】

お寺や宗教の世界は鎖国的に感じています。
そんな鎖国された世界での価値観について書きました。

中学〜高校の頃の寮生活が自分の人生ではとても影響が大きかった期間な気がします。
まぁ普通じゃない生活を送ってきたな、と思います。

筆舌に尽くし難い辛い経験をたくさんしてきたし、かけがえのない経験や仲間を得たような気もします。

困難や時間投下をする期間は人生において必要だと思います。

ただ、理不尽はいけません。
まして躾や教育以上の暴力なんて許されるはずもないです。

大人になった今、思いますがどんな業界でも程度の差はあれ鎖国された価値観ってのはある気がします。

インターネットの発展でおかしなこと、不誠実なことは容赦なく晒される時代にもなりました。

正しく誠実に、他者貢献と社会貢献をする、本来の姿に戻ることが試されている時代と感じています。

5/21 《呪いの装備を解き放つ》お寺生まれで身についた価値観【価値観をアップデートし続ける】

お寺生まれで生活してきた自分に身についた価値観を「呪いの装備」と表現して記事にしました。

誰でもどんな業界にいても、同じ世界にしかしないと価値観は自然と狭まってしまいます。

そういう意味では全ての人が何かしらの「呪いの装備」を大なり小なり抱えている、と言えるかもしれません。

現在はテクノロジーの発達で、狭い世界の実態がどんどん明らかになるようになってきました。

知る限り、あまりお寺の世界の実態というのをハッキリと表現している人はいない気がしています。

宗教や葬式などに対する価値観もずいぶん変わってしまったし、あまり当事者が多くないので話題にならないのかもしれませんね。

少なからず真面目に活動している人たちがいるので、そういう人たちを裏切らないように、誠実に活動していくことが大事なんじゃないかな、と思います。

これは企業でも個人でも同じだと思います。

ボクも自分の世界がつい狭まってしまうので、意図的に他業種の人や知らない人にも関わるようにしていこうと思います。

5/22 《伯父に救われた話》人生の再出発【世間を学ぶ】

ボクが人生で感謝している人物の一人、「親戚の伯父さん」について少し書きました。

客観的に見て、ロクでもない大人だったと思います(笑)
酒はアル中レベルに飲むわ、家庭内暴力気味だったわ、などなど。

ただ、記事内でも書きましたが頭は良くて、時代の先を捉える能力があった人だと思っています。

不器用だけども情に厚い、人間味ある九州男児だったと思います。

若くして亡くなってしまったのは残念です。

色々と家庭や親戚内では問題あった人ですが、ボクにとって救ってくれた重要な人物であることにかわりありません。

サラリーマンとして生きている今、もっと学べることはあったなぁ、と思います。

5/23 《たかが人間》僧侶を信用できない理由【仏教や思想の歪んだ解釈】

ちょっと表現が強かったですが、「僧侶を信用できない理由」というテーマで書きました。

少し感情がのりすぎて書いてしまったかもしれません。

自分が見てきた実体験から、僧侶という存在に良いイメージがあまりないのは正直な感想です。
もちろん、すべての人を信用しないとかそういう意味ではありません。

一般的に見て、聖職者のイメージだと思いますが、実態は普通の人間だし、何なら普通の人よりも煩悩まみれでどうしようもない人が多いです。

閉鎖された世界でその世界でしか育っていないからそうなってしまうのかもしれませんね。

5/24 【教養としての宗教】学び直す価値とは《宗教の光の部分》

「教養としての宗教」というテーマで書きました。

宗教に限らずですが、教養として歴史や宗教を学ぶことはとても大事だと思います。

「自分には関係ない」という気持ちもありますが、だからと言って学ばなくてもいいとはならないな、と思います。

歴史や宗教から学ぶことで現在、今後がどうなるか予測がつくこともあります。

宗教自体はボクは好きじゃないし、今後は何かの団体に所属して人にオススメする、とかもないですが、その思想が文化になっていたり人を救ったりしている側面はあると思っています。

宗教を学ぶ時に難しいな、と思うのは客観的でファクトベースで伝えてくれる本や人が皆無に近いな、と感じています。

最終的に「だから自分たちが正しい」みたいな理論にいきがちなのがちょっと困ったもんだな、と思っています。

まとめ

今週はお寺生まれの自分の原体験をもとに、お寺の世界や宗教、僧侶について書いてきました。

自分のことをさらけ出すのはちょっと勇気がいるのと、単純に書くのに熱量が入ってちょっと大変な一週間になりました。

書くと昔のことを思い出して少し感情が動くところもあったので、辛いような気持ちもありました。
自分のルーツなので、向き合っていこうと思います。

まだまだ書きたりないことが多いので、時々はお寺の世界の話から書いていこうと思います。

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

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