《お寺生まれの実態》生活、修行、そして今。【鎖国された価値観】

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おはようございます!ミヤビです(^^)

今日は前回の続きの記事です。
前回は数字で「お寺生まれ」の特殊な状況を数値から少し見てみました。

今回はもう少し自分の体験してきたことを書きつつ、思いを書いていきます。

中学からの寮生活

ボクの人生でもっとも特殊で強烈だったの原体験は中学生からの6年間かな、と思います。

中学生に上がる時に、親元を離れてボクは寮に入って生活をすることになりました。
一応、試験を受けて合格したから、ということで入りますが、そんな超難しい難関校のような試験はありません。

普通の小学生で習うような算数や国語、一般常識の筆記試験と面談があって、合格しました。
面談も日々の暮らしとか一般常識を聞かれるような簡単なものでした。

そんな試験を合格したボクは寮に入って生活をすることとなります。
同期は同じようにお寺生まれの子もいれば、普通の会社員の家の子もいて、合計で23人いました。

  • 中学から親元を離れて寮生活をしていた
  • 同期は23人いた

多感な思春期の荒れた寮生活

寮生活については過去にも書いています。

修行生活自体は、朝は5時に起きて読経とか掃除、食事当番など分担してやっていました。
あとはお寺の行事ごとを手伝うとか色々あります。

これ自体を普通にしていれば問題ないのかも知れませんが、先輩後輩の縦社会が異常におかしかったのがこの寮生活の問題点だったと思います。

本当に荒れた生活で、殴る蹴るの暴力が日常茶飯事でした。
この時の生活は何回思い出しても辛い恐怖の記憶があります。

これは修行なんだろうか?
ただの理不尽では??

本当にそういう訳のわからない生活でした。

最近はさすがになくなりましたが、フラッシュバックのように昔殴られた時を夢見てうなされていた時期もありました。

どんな業界でもあったことなのかもしれませんが、過去の寮生活での修行時代の暴力は本当に恐怖体験でしかなかったです。

修行時代は理不尽な暴力が蔓延していた。

僧侶をやめるという選択

ボクを知っている人はお察しの通りかもしれませんが、ボクは現在は僧侶ではありません。

理不尽な寮生活を終えた高校卒業後、そのまま仏教系の専門学校を進んでいきます。
お寺に住み込みをしながら専門学校に行くという生活です。

ボクもその道を進むことになりましたが、結論、嫌気がさして逃げ出しました。
そこから完全に僧侶の道を断念する、と決めるまでは数年間、親と話し合いをしてすごくこれはこれで辛かったです。

最終的にはやめて普通の人生を歩むことになっていくことになります。

19歳、人生に躓いた感覚

ボクがお寺の道から逃げ出したのは当時19歳。

今でこそフリーターやフリーランス、大学進学はしなくてもいいという価値観や生き方が広がっていきましたが、当時はもう19歳で大学進学していない、みたいな状況なだけで人生のスタートに失敗したやつ、みたいな雰囲気があったと思います。

大学を卒業して良い企業に就職する、とか公務員が安泰で公務員を目指すべきだ、みたいな価値観が溢れていたんじゃないでしょうか??

お寺生まれとは直接関係ないことかもしれませんが、この世の中の価値観とお寺生まれが悪い意味でシナジーを生んでしまい、ボクは世間で普通に生きていくということが超大変だった感覚があります。

お寺や特定の宗教の価値観で、鎖国している世界で生きていたボクにとって世間に飛び出していくというのは想像以上にハードなことだったと思います。

過去のオレ、ホント頑張ったと思うよ??(笑)

お寺の世界を飛び出して、普通に生きていくのはとてもハードルが高かった。

宗教は洗脳、共通するフレームワーク

お寺生まれのボクの人生観は、長い事洗脳されていたようなものです。

宗教って、どんな宗教でも共通しているフレームワークがあるとボクは考えています。

  • うまくいったら祈っていたおかげ
  • うまくいかなかったら祈りが足りない
  • 自分たちの宗派こそが唯一絶対正しい

程度の差はあるかもしれませんが、和洋中問わず宗教って全部この構造を持っていると思います。

究極の「洗脳・依存ビジネス」だとボクは考えています。

本来は「他者貢献」「公に尽くす」といった「世の為、人の為」みたいな崇高な精神があるんだた思いますが、現代にある宗教からボクはそれをあまり感じないです。

一生懸命やっている人がいると思うので、それを否定する気はないですけどね。

ボクにとってはトラウマのようでもあり、どんな宗教であれ宗教には関わらない、というのが現在の考えです。

まとめ

今回も前回からに続きお寺生まれのボクの生活、価値観について書いてきました。

  • 中学から6年間、寮生活での修行と厳しい上下関係を経験
  • 暴力や理不尽な環境に苦しみ、今もトラウマとして残っている
  • 高校卒業後も僧侶の道を進むが、心が限界を迎え途中で断念
  • 世間との価値観のギャップに苦しみ、「普通に生きる」ことの難しさを痛感
  • 宗教には依存と洗脳の構造があると感じており、距離を置くことを選んだ

こんな感じですかね。

何か自分の原体験をツラツラと書いているだけなので、非常にまとまりがない記事になっているな、と思います。

意図的に詳細を濁している点はありますけどね。
特定の誰かや団体を攻撃や批判する意図は全くありません。

ただ、ボクは宗教に対しては距離をおいて、無宗教派でいきます。

敢えていうなら自分だけを推す自分教です(笑)

細かいことは書き出すと、無限に出てくるなぁ、と感じます。
今週はこんな感じでまたツラツラと書いていきますね。

今回はここまで。
読んでいただきありがとうございました。

より良い人生にしていきましょう\(^o^)/

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